2013年6月3日月曜日

『キャパの十字架』、沢木耕太郎

ロバート・キャパ。
ロバート・キャパ(本名:フリードマン・エンドレ・エルネー)


写真のことにはまったく詳しくない自分でも聞いたことがある、偉大な写真家。

とは言え、日常生活の中で頭のなかに浮かぶ機会などそれほどあるはずもない、そのような存在。

ただ、今年に入ってすぐだったでしょうか。
NHKを見ていてつい引きこまれた番組が、彼、ロバート・キャパの半生を“執念”を持って追う番組でした。
そこに出演していたのが、こちらもまた有名らしい沢木耕太郎。
作品を聞いたら、聞いたことがある、というレベル。
しかし、作家がなぜ写真家の半生を追っているのか?理解はあまりないまま、番組に引きこまれて行きました。


その内容とは……。


■崩れ落ちる兵士

ロバート・キャパ。本名はフリードマン・エンドレ・エルネー。
売れない若手写真家だったフリードマンが、一躍世界のトップ戦場カメラマンとなった作品名が、「崩れ落ちる兵士」。
崩れ落ちる兵士

スペイン内戦時、ナチスに支援された「反乱軍」に対向する、「共和国軍」兵士が殺されたまさにその瞬間を切り取った世紀の完璧なスクープとされたこの写真で、フリードマンはロバート・キャパとしての人生を生き始めることになります。

ロバート・キャパの輝かしい人生のまさにスタートとなるこの写真。
しかし、なぜかキャパは生前、この写真について詳しく話したことがなかったらしい。

そして、この写真はあまりにも完璧過ぎるために、「ヤラセではないか」という疑念を持たれ続けてきたといういわくつきの写真。


■沢木耕太郎の熱意

沢木耕太郎は若かりし頃、キャパの自伝を読んで惹きつけられたそうです。
そして、やはりこの写真の疑惑に触れ、その思いを20年も抱えてきたとのこと。

その疑念を、沢木は自分なりの視点で仮説を組み立て、執念と読んで差し支えないレベルでの検証を加えて、仮説を補強していきます。

そのプロセスを丁寧に描いたのが、今回紹介する本『キャパの十字架』です。

キャパの十字架
キャパの十字架
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沢木 耕太郎
文藝春秋
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この本は本当に面白いです。買って3~4時間で一度読みきってしまいました。

それぐらい、グイグイと引き寄せられる本です。
ただ、もしNHKの番組を見ていれば、たぶんそちらの方が「崩れ落ちる兵士」についての謎解きについては、わかりやすいです。
こった映像処理なんかもあったので、非常にわかりやすかったので。


■「キャパ」を生きるフリードマン

この本の魅力は、そこではなく、数多く示されている資料的価値のある写真や、ゲルダ・タローとの関係や、ゲルダを失った後のキャパ(フリードマン)が、伝説的人物となってしまった「ロバート・キャパ」に同一化していくプロセスを書いている部分です。
全体からみれば2割くらいでしょうかね。

その様は、さまざまな偶然から、たまたま撮れてしまった完璧過ぎる作品によって、一躍世界のトップカメラマンとなってしまった「ロバート・キャパ」という看板を下ろすこともできず、事実を明らかにすることもできず、ジレンマという言葉では片付けられない複雑な人生を生きることになったのです。

そして、おそらく唯一秘密を共有していたゲルダを亡くした後の、キャパの生き様は本書でもNHKの番組でも触れられていたように、「崩れ落ちる兵士」を超える写真を撮って、「ロバート・キャパ」に追いつくことが最優先事項となっていたような気がします。

そして、その結果としてノルマンディー上陸作戦の「波の中の兵士」が生まれ、フリードマンは本物の「ロバート・キャパ」になり得たのです。

波の中の兵士


二十二歳で、「冒険」を求めてスペインの戦場に赴いた若者は、その八年後に、ノルマンディーという「本当の戦場」で、<中略>大人の男になっていたのだ。 (p.314)
たぶん、あの「波の中の兵士」という疑いようもない傑作が撮れたとき、キャパはようやく「崩れ落ちる兵士」の呪縛から解き放たれることになったのだろう。「崩れ落ちる兵士」の呪縛、つまりキャパの十字架から。(p.315)

本書の最終章には、あの「崩れ落ちる兵士」が撮られた時期の、キャパとゲルダ(の後ろ姿)が「たまたま」写り込んでいる写真が掲載されています。
その中での両者の視線の違いは、不思議なほどその後の人生を暗示するようなものとなっています。もちろん、「たまたま」そういう瞬間だったのでしょうが、そういう「たまたま」を切り取ったこの写真というものの深さを感じざるを得ません。

そしてもうひとつ。
ゲルダとキャパがそれぞれ死ぬことになる最後の日に撮影した写真もまた、二人の人生を暗示しているようだ、と沢木は言います。

ゲルダは、「崩れ落ちる兵士」後、戦場カメラマンとしての才覚を発揮し、その情熱と勇気はすごかったと言われています。そんな彼女の最後の日の写真は、「炎上するトラック」。
燃えるような情熱が不意に終焉を迎えてしまう、ゲルダの人生を反映するかのような写真です。

キャパは、「崩れ落ちる兵士」から8年をかけて「波の中の兵士」に到達し、WW2後は「現在失業中」という静かなアーリー・リタイアに向う中、ふと戦場に戻りそこで死亡する、という寂しさ、物悲しさを感じさせる写真です。


沢木の仮説が完全に正しいと証明されたわけではありませんが、現時点で示されている証拠から考えると、かなり「事実に近い」結論だと思われます。

そして、沢木はあとがきで言っているように、キャパの虚像を剥ぎたい訳じゃなく、その生き様、何を抱え何を思い生き、死を迎えたのか。それを探求したいのだろうと思います。

キャパはこの本と番組ではじめて具体的に知りましたが、それぐらい魅力を持った人物であることがよくわかります。
しかし、もっとも印象的なのはキャパが「偉大なキャパ」から逃げず、追い立てられるようではありながらも、何とか同一化を図ろうと向き合うその生き方です。

ゲルダを失い、結局結婚することなく地雷で亡くなったというキャパは、最期の瞬間に何を思ったのでしょうか。

ちなみに、ゲルダ・タローの「タロー」ってはじめて聞いた時日本名の「太郎」と音が一緒なんだーと思ってましたが、どうやらあの「岡本太郎」から取ったらしいです。

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