2013年5月20日月曜日

日本人な乙武さんは食べ物で激おこプンプン丸

乙武さんととあるトラットリアの件について。
ちなみに、「トラットリア」とは、イタリアの大衆食堂的なお店、という認識です。


この話の第一印象は、「らしくない」だった。
もちろん、乙武さんを個人的に知っているわけじゃないから、「らしくない」が妥当かどうかはわからない。
けれど、これまでの乙武さんの言葉などを拾い読みしていると、こんな稚拙というか幼稚な反応をするような人には思えなかった。もっと人の心情の機微に鋭い人だと思うので、意外でした。

自分は飲食店で働いた経験はないから「わからないなー」と思っていたら、とあるブログに「バンビ~ノ!」読めばイタリアンレストランの厨房が戦場なのはある程度わかるはず、と書かれていて「あぁ、そうか」と。
ああいう状況で、抱えて上がってくれといわれても、困るんだろうとは思う。バンビなら抱えるかもしれんけど。

抱えて上がってくれという話では疑問が二つほど。
ひとつは、電動車いすはどうするつもりだったのか、ということ。あれ、相当重たい、という記述を見た記憶があるけど、どうなんだろう。持ってはあがれないだろうけど、銀座の通りに放置しておくつもりだったのか。
もう一つは、乙武さんの連れ合いはいなかったのか、ということ。いたなら、彼らが抱えれば済んだ話だろうからいなかったのかも。


そもそもに話を戻して想像すると、もしかしたら乙武さんは「乙武洋匡」で予約を入れたのかもしれない。その仮定で進めると、もしかしたら「乙武洋匡」という名前を伝えれば事情がわかるはず、と期待していたのかもしれない。
だから「らしくない」確認を怠ったりしたんじゃないかと思ったりするわけです。

ここまで推測で書いておいてなんですけどまあ、トラットリアの店主さん側にまったく否がないわけじゃないんでしょうが、こういうやり取りは基本当事者同士でしかわかりませんからね。

乙武さんをぶっ叩いてる人も、トラットリアをぶっ叩いてる人も極端だなーと思います。
人間そこまで論理的じゃないから、その場面ではお互いいらついたり、ささいな言動が癪に障ったりもするでしょうから、どちらかが100%悪いということはないでしょう。
そういう意味では、仮にHPに「車いすの方はご遠慮ください」のようなことが書かれていたとして、それでもって断っていい理由にしてしまうと、アメリカナイズし過ぎというか、書いてありゃぁそれでいいのか、という気はしないでもない。

またこれを障害者差別と捉えるのもまた違ってて、じゃあ骨折した人がたまたま車いすで来店して断られたら、彼/彼女は障害者なのか、と。店主はそんなこと関係なく無理なら無理というのでしょうし。
うん、これも「らしくない」と感じたひとつです。「人間の尊厳が~」とかいう表現が乙武さんから出てくることが意外。とは言え、これは自分の中で勝手に作り上げた「乙武洋匡像」でしょうね。


一方で、↓で指摘されているように国内法の整備が行き届いていないという指摘はあるべきでしょうね。

乙武氏入店拒否事件に対してカルフォルニアから

上記リンク、最初だけを読むと「また欧米基準を持ち込んで国内事情を無視して叩いてるのか」と思ったのですが、最後まで読むと冷静な指摘をされています。

国内で関連する法律というとハートビル法がパッと思い浮かびました。

最後に一言。
やはり日本人を怒らせるなら、「食」にまつわることなんだな、とひとりごちる(笑)
タイトルがふざけてて申し訳ありません。

tarosukeの日記: 日本人を怒らせる方法コピペ

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