2013年9月2日月曜日

寛容な社会がいい

この記事のタイトルだけ読んで思い出した。



この前、大学時代の恩師と久しぶりに会った、と書いた。その時に、今の大学の雰囲気や社会を覆う空気についてひとこと「寛容でなくなってるなぁ……。」とつぶやいておられた。

具体的には、大学研究室でギターを多少控えめに弾いていたら別の研究室の先生から苦情が出た、という話があったり。
これって、たしかに自分が居た頃の大学や研究室界隈だと、それほどうるさくいうことはなかったと思う。

寛容さがなくなっているのはなぜなんだろう。
一人ひとりが時間におわれているから?常に成果を求められているから?自分は集中したいのにギターが聞こえるとイラつくから?

なぜ?


こういう厳しすぎる社会と、だれも責任をとらない社会というのは表裏一体じゃないかと思ってる。

不寛容であることは、他者への関心を持たない社会へとつながる気がします。

匿名性の高いネットだと、つい正義感が強くなって、普段だとそこまで言わないことでもしつこく追求したりしてしまいます。
ただ、正義感が背後にあろうと、誰かを社会的に攻撃することはあまりいいことではないなーと思います。

「そんなことをするバカは社会にでる前に叩いておいた方がいい」ということも見ますが、たぶんそれで反省してどうにかなる子じゃないんだと思うんですよね。


もう少し、寛大なココロでいたいし、寛容な社会の方が結果的に暮らしやすいんじゃないかと思います。
こんな時代、いつ自分が「たたかれる」側になるかわかったもんじゃないですし、弱っている時にさらに弱らせる社会がいいのか、それでも「大丈夫だよ」と勇気づけてくれる社会がいいのか。

自分は後者を望みますし、きっと多くの人は後者だと思います。

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