2014年6月1日日曜日

求めた「平凡な人生」はどこへ行った?

人生観、価値観というのは大きく変わるものだなと感じます。

高校生の頃までは、いや、大学卒業直前くらいまでは、「細く長く」が一番だと思い、そういう人生を望んでいました。

刺激はいらない、仕事は9時5時がいい、土日は休みがいい、昇給・昇進は特に望まない。結婚もして、ぼちぼちの暮らしができればそれがいい。

そう思っていました。

しかし、それらはほとんどひっくり返った。

仕事はもちろん9時5時がいいんだけど、そうではないのがノーマルだと思うようになったし、刺激はほしい。土日の休みはあれば嬉しいが、平日休みでも構わない。昇給・昇進は別にいいんだけど、所得はもう少しほしい。

そして、結婚生活も予定では明日で終了。

振り返ってみると、いろんな体験をしてるなと思う。

大学以後は、就職、結婚、自宅購入、子どもを授かる、自宅売却、実家合流、実家出奔、離婚。
前半くらいは平坦、というか平凡ながらも幸せ、というやつだったと思いますが、心のなかは常にさざ波がたつような心持ちでした。
平凡な幸せに満足できない自分が嫌で。決定的な出来事は自分が引き起こしたんですけどね。

昔は長生きしたいと思っていたけど、最近はそれもそれほど思わない。早死するならそれはそれで仕方ない、と。むしろ、早死するんじゃないかな、なんて思う。

そんな予感がしたので、3月にはとりあえず遺言書めいたものを作成した。まあ、財産といえるほどの財産はないのでもめることもなかろうて。

もめそうなくらい財産を形成できれば、その時にはまた遺言書をきちんと整備しよう。それを目標にしようかな。
今は支出を抑える工夫をもっとしないとなと思う。

少し油断するとダークサイド(抑うつ状態)に落ちそうなんで、仕事があるのは助かる。一人の時間が生まれると、つい考えてしまうので。

よくドラマであった「仕事に打ち込んで忘れる」という状態はこういうことか、と納得。
一人でできる仕事の場合にはそこまで打ち込めてるわけじゃないけど、幸いにも打ち合わせやコミュニケーションを取ることが大事な仕事なので、人と話す時間が多いのはありがたい。

いやー。この先どうなるんだろう。
子どもに会わせる気があるのかどうかに不安を感じる。そんなことはしないだろうとは思うのだけど。その辺の考え方が違いすぎるのも離婚という決断に至った理由のひとつなので、変わらない可能性も高く、それが不安を掻き立てる。

0 件のコメント:

コメントを投稿