『ノウイング』を見たんだけど、感想書く時間的余裕がないです。
簡単に。
前半から中盤にかけてはサスペンス調、ミステリ風でおもしろかったんですけど、多くの人が指摘しているように終盤はうーん・・・でした。
あ、そうそう。ディザスター・ムービーだと思って借りたらまた宗教系映画でした。
ここ1,2ヶ月で何本もこういうのに当たるとちょっとまってくれよと思いますね。
それとも、実はハリウッド映画の多くは宗教をベースに組み立てられていて、それに気づく年齢、経験をしたから、なのかな?多分違うと思うな。。
なんで「宗教」タグのエントリーが増えてるんだ……。
あとは時間のあるときにもしかしたら追記するかも。たぶん、しない。
2013年8月2日金曜日
2013年7月28日日曜日
アクションで味付けされた精神世界をみる『ザ・ウォーカー』
また遊んでる場合じゃないのに、返却期間もあって映画を見てしまった。
今回見たのは『ザ・ウォーカー』、デンゼル・ワシントン主演、共演にはゲイリー・オールドマン。
これを借りてきた理由は、別のDVDの中に予告編があって、その映像がものすごくかっこよかったから。
で、実際に見てみた感想なんですが、映像はたしかにかっこいい。
モノクロームとセピアの中間のような色彩で世界観を表現している。デンゼルのアクション・シーンは必見レベルに流麗で痺れる。
ちなみに、序盤にて受ける世界観に対する印象は「北斗の拳を実写化するとこんな感じかも」です。
世界観をまとめると
- “宗教戦争”による世界の荒廃
- “戦争”によって、空に「穴」があいたため、屋外ではサングラスが必須
- “戦争”前の文化を知る「中高年」は少数、若者が大多数
- 文化、文明は失われており、若者の識字率はちょ~低い
- 経済は物々交換経済
- そんな中、デンゼル演じるイーライは、“本”を手に、30年間ひたすら「西方」を目指して歩く
- ゲイリー演じるカーネギーは、荒くれ者をまとめあげ、“まち”を復興し、支配者に
- カーネギーは支配力強化のために“本”を探し求めている
デンゼル演じるイーライについてくるソラーラを演じた女優さんは可愛らしいんだけど芯の強さを感じさせるいい女優さんでした。
じゃあ、大満足かというと、実はそうではない。
その理由は、予告編から受けた印象、期待と実際の映画の内容に一定レベルでギャップがあったため。
端的に言えば、この映画はクォリティの高いアクション・シーンはあるが、それは添え物であって、本筋は“イーライの本(the book of ELI)”をめぐる精神世界を柱としたストーリーで成り立っている。
「精神世界」というと違和感、嫌悪感を覚える人もいるかもしれない。実際とあるシーンでは、自分も「ちょっと説教臭いな」と感じなくはなかった。でも、全体を通して振り返ると、そうした印象を受けるのはごく一部でストーリーとしては、穏やかな流れの中で時に激流を織り交ぜながらも、着地点に向かって淡々と流れている。
結果的に楽しめたからまだいいけど、予告編と本編とのギャップが大きすぎるのはちょっといただけないなー。ミスディレクションというよりも、単に興行成績のため、という気がします。
イーライは言ってみれば「宗教戦争」後のキリストである、と受け取りました。受難と奇蹟。使命と啓示。そういったものをイーライは追体験しているように見えます。
そして、最後には“本”の内容をイーライが口伝で伝えるわけで、“戦”後ホーリー・バイブルはイーライがいなければなかったわけです。
おもしろいのは、イーライの前職?がKマート店員だということ。
詳しくは知らないけど、たぶんKマート店員ということは、社会的階層が比較的低い人だったということを示してるんでしょ。
さらに言えば、本編中ではイーライ以外の黒人が出てこない(ように思える)。
カーネギーが支配する町に来た時に奇異の目で見られたのは、「町の人間じゃないから」だけではないようにも感じました。
そして最後に明かされるもうひとつの特徴。
他方、ゲイリー・オールドマン演じるカーネギー。この名前を聞いてまず思い出すのは、デール・カーネギー。『人を動かす』の著者としても知られています。
彼はイーライが持つ本を利用して、愚かな民の進むべき道を指し示し、自ら支配者となることを目指しています。
この映画について、いくつかのレビューを読んでみたのですが、「キリスト教万歳」だとか「宗教的プロパガンダ」だという指摘が多いです。
しかし、自分が受けた印象はむしろ、カーネギーの言葉としてとても皮肉な“宗教の悪用の効用と現実”を発しており、決して「万歳」ではないと感じました。
しかも、宗教に振り回された結果、それを手中に収めながらも読み解けない現実。
なお、カーネギーが探している“本”を、イーライが持っていると気づくシーン。何気ない、よくあるシーンですが、好きです。
だって、あんなシーンこれまで多くの映画で普通に展開されてきたシーンなわけで、それが意味あるシーンだなんて思わないですよ。
その時点で、カーネギーは自分が探している“本”、実は“本”は象徴であって、実態は宗教なんですが、それを知る人間の存在を認知することになるのです。
映画最後で、まさかそういうことだったのか、とイーライの秘密が明かされるわけですが、だから誰にも触らせなかったし、感覚鋭敏だったし、ソラーラのお母さんにも優しかったわけだ。
アクション映画だと思わず、ストーリーを楽しむ映画だと思ってみるといいと思います。
カーネギーが支配する町に来た時に奇異の目で見られたのは、「町の人間じゃないから」だけではないようにも感じました。
そして最後に明かされるもうひとつの特徴。
他方、ゲイリー・オールドマン演じるカーネギー。この名前を聞いてまず思い出すのは、デール・カーネギー。『人を動かす』の著者としても知られています。
彼はイーライが持つ本を利用して、愚かな民の進むべき道を指し示し、自ら支配者となることを目指しています。
この映画について、いくつかのレビューを読んでみたのですが、「キリスト教万歳」だとか「宗教的プロパガンダ」だという指摘が多いです。
しかし、自分が受けた印象はむしろ、カーネギーの言葉としてとても皮肉な“宗教の悪用の効用と現実”を発しており、決して「万歳」ではないと感じました。
しかも、宗教に振り回された結果、それを手中に収めながらも読み解けない現実。
なお、カーネギーが探している“本”を、イーライが持っていると気づくシーン。何気ない、よくあるシーンですが、好きです。
だって、あんなシーンこれまで多くの映画で普通に展開されてきたシーンなわけで、それが意味あるシーンだなんて思わないですよ。
その時点で、カーネギーは自分が探している“本”、実は“本”は象徴であって、実態は宗教なんですが、それを知る人間の存在を認知することになるのです。
映画最後で、まさかそういうことだったのか、とイーライの秘密が明かされるわけですが、だから誰にも触らせなかったし、感覚鋭敏だったし、ソラーラのお母さんにも優しかったわけだ。
アクション映画だと思わず、ストーリーを楽しむ映画だと思ってみるといいと思います。
2013年7月12日金曜日
トラをどう捉“トラ”えるべきか 『ライフ・オブ・パイ』
2013年上半期を代表する一作である『ライフ・オブ・パイ~トラと漂流した227日~』を見ました。
タイトルはただの悪ふざけで、意味はありません。
予告編等から想像していた内容を大きく裏切る内容でした。
最後のクライマックスで映画の中での大きなシフトが起こるわけですが、残念ながらそこに至るまでのシーンにおいて自分としては充分に入り込めず、結論的にはイマイチ、という印象です。
まずぼやかして感想を述べると、個人的には予告編に提示されていた、非常にファンタジックなシーン、スリリングな漂流の日々よりも、漂流から生還したパイが成長し、中年になり、自分の経験を挫折した小説家に語るシークエンスの方がよほどおもしろく感じました。
第一の理由は、ファンタジックでスリリングな漂流のシークエンスに残念ながらほとんどハマれませんでした。大洋のどまんなかなのに、なぜか波は立たず鏡のように美しかったり、夜光虫らしき発光性生物をまとったクジラが大ジャンプしたり、仏様のような寝姿をした島に辿り着いたり、とあまりにもファンタジー過ぎて、当初のイメージと乖離が大きいためだと思います。
最初からファンタジーだと思って見てれば違ったかもしれません。
第二の理由は、たぶん俳優の力量。中年パイを演じた俳優さんは実にたんたんと、でも魅力的な声と間で引き込まれるものがありました。
主にこのような2つの理由から、青年パイの漂流譚より、当時を回想している中年パイのシークエンスがおもしろいと感じています。
さて、この映画。最後を迎えてみればそれほど難解な映画ではありません。
この映画の中で事実として確認されたのは、パイという青年が家族、動物たちを乗せた船でカナダに渡る途中で嵐にあい、船が沈没し、長期に渡り漂流して後、生還したということです。
そして、生還したのは彼一人で、漂流している間に何があったのかは誰も証明のしようがない、という状況です。
そして、中年になったパイから語られた、「漂流している間に何があったのか」は、2つのストーリーが語れることになりました。
そのひとつが、本映画の中核をなし、自分がハマれなかった実にファンタジックな、青年パイとベンガルトラとの漂流譚。
そして、もうひとつが最後のクライマックスでほんの数分で示される、現実的な漂流譚。
ファンタジックな漂流譚
「パイの方舟」に、足を骨折したシマウマ、オランウータン、ハイエナ、トラが乗り込むパターン。
結果的に動物たちの中ではトラだけが生き残り、パイとトラとの奇妙な共同漂流生活が始まる。
トラの爪牙から逃れるために、パイは救命胴衣などをつなぎあわせたイカダを作り、避難ボートとして活用し、そもそもの救命艇を母艦としている。
漂流生活の中では、大海のどまんなかにもかかわらずなぜか水面はさざ波ひとつ立たず、鏡のように美しかったり、発光生物をまとったクジラがジャンプをしたり、食料に困ったらトビウオの群れが飛んできたり、トビウオを追っていたカツオらしき巨大魚が救命艇に突撃してきたり、と困難と奇跡の連続。
そんな中で食料が減り始めた時、トラ(名前はリチャード・パーカー)は魚を獲ろうと海にジャンプ。
その隙にパイは救命艇に戻り、トラを船に戻れなくするも、トラとの複雑奇妙な共同生活こそが、漂流生活のハリになっていたと悟り助ける。
で、しまいにはミーアキャットだらけの島にたどり着き、急速と食料を得て安心したのもつかの間、その島の真水の池は夜になると化学変化で酸化し、生きるものを溶かしてしまう、生き物を食べる島だと気づき、トラとともに脱出。
最後にはメキシコ岸にたどり着き、生還。
詳しいあらすじや解説は↓などがいいかもしれません。トラの名前である「リチャード・パーカー」も意味深な名前のようです。
ライフ・オブ・パイ考察と感想~作品に込められた隠喩の数々~【映画レビュー】
今生の別れ「ライフ・オブ・パイ」ネタバレなし感想+ネタバレレビュー
えーっとですね。
自分は、この映画をある程度リアルな感じなのかと思いながら見始めたので、このようにざっくり書いたあらすじについていけませんでした、ハイ。
その前のインドで過ごした少年時代なんかはけっこう面白かったんですよ。でも、漂流生活がスタートした途端に「???」でした。
現実的な漂流譚
メキシコにたどり着き生還した青年パイのもとに、沈没した船の船籍国である日本の保険会社から調査員が2人、事情聴取に来ます。
そこでは、前述のファンタジックな漂流譚は「非現実的」で受け入れられませんでしたので、青年パイは現実的な漂流譚として、まったく別の話を語りだす。
そこには、トラも、ハイエナもシマウマもオランウータンも出てこない。
第二の漂流譚に出てくる登場人物は、青年パイに加えて、足の折れた仏教徒の船員、意地の悪いコック、パイの母親。
そこでは、コックが足の折れた船員は足を切断しなければ助からない、と言うので切断したが死亡した。さらにコックはその足を食べ始めたため、パイの母親は激怒しコックをぶった。すると翌日、コックは母親を殺害したので、パイはコックを殺害した。という厳しくも現実にあり得そうな漂流譚。
事実はどこに?
映画の中では、この2つのストーリーが示されますが、多くの人がそうであるように、自分も後者の現実的な漂流譚がおそらくは事実だったのだろうと思います。
が、ファンタジックなストーリーがまるっきり嘘か?と言われるとそうでもないような気がするのがこの映画の特徴かもしれません。
多くのレビューサイトで触れられているようですけど、振り返ってみると、ファンタジックな漂流譚は青年パイの心象風景だったり、信仰の世界であるのかもしれません。
このへんは宗教観があまりに違う自分では理解しきれないところがあります。
さらに、青年パイは宗教を信仰し理性的であろうとするパイを表し、トラは生き残るための本能的なパイを表している、という分析がありましたが、なるほどと思います。
ただ、そうだとするとメキシコ漂着後にトラ(本能的なパイ)が青年パイ(理性的なパイ)に何の友情も愛情も表現せずに消えていったことと、それを青年パイは心底悔しがって泣いていたことはどう解釈すれば良いのでしょうか。
理性的パイは本能的パイを漂流の末に“飼い馴らせた”と思っていたのに、実際には危機感が去ったから生存本能が消え去ったに過ぎない、ということを自覚したということなのか。
このへんはよくわからないし、ソレを考えるのがこの映画の楽しみ方なのかもしれません。
いずれにしても、この映画は個人的には「つまらない」わけではなくて、ハマれなかった、というものです。
最後の大どんでん返しも、せっかく用意されているのに自分はその前段でハマれなかったので、大どんでん返しのギャップも少々薄れてしまった。
『ユージュアル・サスペクツ』や『スティング』は最高に楽しめたんですけどね。。。
あ、そうそう。ハマれなかった大きな理由がもうひとつ。
レンタルしてきたDVDの調子が悪いのか、全編をとおして2~3箇所で再生不可な場所があり、何度も何度も再生と停止を繰り返す作業が発生したので、そのたびに“リアル”に引き戻された、という事情もあるかと思います。これが一番腹がたった!
見れなかった主なシーン。
あと一箇所くらいあった気がするけど、思い出せない。
タイトルはただの悪ふざけで、意味はありません。
予告編等から想像していた内容を大きく裏切る内容でした。
最後のクライマックスで映画の中での大きなシフトが起こるわけですが、残念ながらそこに至るまでのシーンにおいて自分としては充分に入り込めず、結論的にはイマイチ、という印象です。
まずぼやかして感想を述べると、個人的には予告編に提示されていた、非常にファンタジックなシーン、スリリングな漂流の日々よりも、漂流から生還したパイが成長し、中年になり、自分の経験を挫折した小説家に語るシークエンスの方がよほどおもしろく感じました。
第一の理由は、ファンタジックでスリリングな漂流のシークエンスに残念ながらほとんどハマれませんでした。大洋のどまんなかなのに、なぜか波は立たず鏡のように美しかったり、夜光虫らしき発光性生物をまとったクジラが大ジャンプしたり、仏様のような寝姿をした島に辿り着いたり、とあまりにもファンタジー過ぎて、当初のイメージと乖離が大きいためだと思います。
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| 画像は拝借してきました |
最初からファンタジーだと思って見てれば違ったかもしれません。
第二の理由は、たぶん俳優の力量。中年パイを演じた俳優さんは実にたんたんと、でも魅力的な声と間で引き込まれるものがありました。
主にこのような2つの理由から、青年パイの漂流譚より、当時を回想している中年パイのシークエンスがおもしろいと感じています。
さて、この映画。最後を迎えてみればそれほど難解な映画ではありません。
この映画の中で事実として確認されたのは、パイという青年が家族、動物たちを乗せた船でカナダに渡る途中で嵐にあい、船が沈没し、長期に渡り漂流して後、生還したということです。
そして、生還したのは彼一人で、漂流している間に何があったのかは誰も証明のしようがない、という状況です。
そして、中年になったパイから語られた、「漂流している間に何があったのか」は、2つのストーリーが語れることになりました。
そのひとつが、本映画の中核をなし、自分がハマれなかった実にファンタジックな、青年パイとベンガルトラとの漂流譚。
そして、もうひとつが最後のクライマックスでほんの数分で示される、現実的な漂流譚。
ファンタジックな漂流譚
「パイの方舟」に、足を骨折したシマウマ、オランウータン、ハイエナ、トラが乗り込むパターン。
結果的に動物たちの中ではトラだけが生き残り、パイとトラとの奇妙な共同漂流生活が始まる。
トラの爪牙から逃れるために、パイは救命胴衣などをつなぎあわせたイカダを作り、避難ボートとして活用し、そもそもの救命艇を母艦としている。
漂流生活の中では、大海のどまんなかにもかかわらずなぜか水面はさざ波ひとつ立たず、鏡のように美しかったり、発光生物をまとったクジラがジャンプをしたり、食料に困ったらトビウオの群れが飛んできたり、トビウオを追っていたカツオらしき巨大魚が救命艇に突撃してきたり、と困難と奇跡の連続。
そんな中で食料が減り始めた時、トラ(名前はリチャード・パーカー)は魚を獲ろうと海にジャンプ。
その隙にパイは救命艇に戻り、トラを船に戻れなくするも、トラとの複雑奇妙な共同生活こそが、漂流生活のハリになっていたと悟り助ける。
で、しまいにはミーアキャットだらけの島にたどり着き、急速と食料を得て安心したのもつかの間、その島の真水の池は夜になると化学変化で酸化し、生きるものを溶かしてしまう、生き物を食べる島だと気づき、トラとともに脱出。
最後にはメキシコ岸にたどり着き、生還。
詳しいあらすじや解説は↓などがいいかもしれません。トラの名前である「リチャード・パーカー」も意味深な名前のようです。
ライフ・オブ・パイ考察と感想~作品に込められた隠喩の数々~【映画レビュー】
今生の別れ「ライフ・オブ・パイ」ネタバレなし感想+ネタバレレビュー
えーっとですね。
自分は、この映画をある程度リアルな感じなのかと思いながら見始めたので、このようにざっくり書いたあらすじについていけませんでした、ハイ。
その前のインドで過ごした少年時代なんかはけっこう面白かったんですよ。でも、漂流生活がスタートした途端に「???」でした。
現実的な漂流譚
メキシコにたどり着き生還した青年パイのもとに、沈没した船の船籍国である日本の保険会社から調査員が2人、事情聴取に来ます。
そこでは、前述のファンタジックな漂流譚は「非現実的」で受け入れられませんでしたので、青年パイは現実的な漂流譚として、まったく別の話を語りだす。
そこには、トラも、ハイエナもシマウマもオランウータンも出てこない。
第二の漂流譚に出てくる登場人物は、青年パイに加えて、足の折れた仏教徒の船員、意地の悪いコック、パイの母親。
そこでは、コックが足の折れた船員は足を切断しなければ助からない、と言うので切断したが死亡した。さらにコックはその足を食べ始めたため、パイの母親は激怒しコックをぶった。すると翌日、コックは母親を殺害したので、パイはコックを殺害した。という厳しくも現実にあり得そうな漂流譚。
事実はどこに?
映画の中では、この2つのストーリーが示されますが、多くの人がそうであるように、自分も後者の現実的な漂流譚がおそらくは事実だったのだろうと思います。
が、ファンタジックなストーリーがまるっきり嘘か?と言われるとそうでもないような気がするのがこの映画の特徴かもしれません。
多くのレビューサイトで触れられているようですけど、振り返ってみると、ファンタジックな漂流譚は青年パイの心象風景だったり、信仰の世界であるのかもしれません。
このへんは宗教観があまりに違う自分では理解しきれないところがあります。
さらに、青年パイは宗教を信仰し理性的であろうとするパイを表し、トラは生き残るための本能的なパイを表している、という分析がありましたが、なるほどと思います。
ただ、そうだとするとメキシコ漂着後にトラ(本能的なパイ)が青年パイ(理性的なパイ)に何の友情も愛情も表現せずに消えていったことと、それを青年パイは心底悔しがって泣いていたことはどう解釈すれば良いのでしょうか。
理性的パイは本能的パイを漂流の末に“飼い馴らせた”と思っていたのに、実際には危機感が去ったから生存本能が消え去ったに過ぎない、ということを自覚したということなのか。
このへんはよくわからないし、ソレを考えるのがこの映画の楽しみ方なのかもしれません。
いずれにしても、この映画は個人的には「つまらない」わけではなくて、ハマれなかった、というものです。
最後の大どんでん返しも、せっかく用意されているのに自分はその前段でハマれなかったので、大どんでん返しのギャップも少々薄れてしまった。
『ユージュアル・サスペクツ』や『スティング』は最高に楽しめたんですけどね。。。
あ、そうそう。ハマれなかった大きな理由がもうひとつ。
レンタルしてきたDVDの調子が悪いのか、全編をとおして2~3箇所で再生不可な場所があり、何度も何度も再生と停止を繰り返す作業が発生したので、そのたびに“リアル”に引き戻された、という事情もあるかと思います。これが一番腹がたった!
見れなかった主なシーン。
- オランウータンがハイエナに噛み付かれた直後から数分(つまり、漂流後のトラの最初の見せ場)
- 後半、大嵐に見まわれパイもトラも“死”を覚悟した直後~人喰い島を発見し上陸するまでの数分(つまり、死の覚悟からの奇跡との邂逅)
あと一箇所くらいあった気がするけど、思い出せない。
DVDの調子が悪いので見返す気にもならない。
こうしてみると、やっぱり肝心な場面(本能的なパイの登場と、死直前からの奇跡の回復)が吹っ飛んでるから、今回書いたこの感想は意味があるのか自信がない。
映像はむちゃくちゃ綺麗です。BDで見てみたいくらい。
【参考】
映画「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」感想
ライフ・オブ・パイ(ネタバレ)/神の愛は森に隠れてる
ミニョネット号事件(Wikipedia:リチャード・パーカーのネタ元?)
映像はむちゃくちゃ綺麗です。BDで見てみたいくらい。
【参考】
映画「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」感想
ライフ・オブ・パイ(ネタバレ)/神の愛は森に隠れてる
ミニョネット号事件(Wikipedia:リチャード・パーカーのネタ元?)
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン (2013-06-05)
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2013年7月2日火曜日
未見の人は見るなら覚悟を 『ツリー・オブ・ライフ』
ブラッド・ピット主演『ツリー・オブ・ライフ』を見た。
ツリー・オブ・ライフ、すなわち「生命の木」。
うわーーーー。
久しぶりに2時間強が長かった。
たぶん『マネーボール』のDVDで予告編を見て、なかなかおもしろそうな映画だなと思い借りたんだけど……。
そのおもしろそうなシーンは、本当にこの映画の中で一番一般受けするシーンだったんだな、と。
あらすじは父と長男の葛藤だったりするんですが、心象風景的なものがあっちいきこっちいきしてるんです。
時間も場所も転換が早くて頻度も高くて、よくわからない。
開始10~15分後からは長い間、TBSの『世界遺産』でも見てるのか?と思うくらい自然風景が映し出され、あっという間に自分の中で「これ、アカンやつや……」とアラートが。
で、Wikipediaみたら「宗教映画」って書いてあったんですよ。はぁ……。
どおりで?「エヴァを実写化したらこんな感じなのかな~」とかぼんやり思いながら見てたんで、まあ納得というか。
このわけの分からなさ、キリスト教を理解してればもっと楽しめるのかどうかわかりませんが、これをまだ見たことなくて、「ちょっとおもしろそうだから見てみようかなー」と思っている人は、くれぐれも過剰な期待をしないように。
2時間強がものすごく長く感じられる映画です。
ブラッド・ピットもいいんですけど、ショーン・ペン良かったです。ほとんど喋りませんけどね。
どこがいいって、ラストのたぶんクライマックスでのブラッド・ピットとのシーン。
ブラッド・ピットが父親で、ショーン・ペンが息子なんだけど、実年齢ではショーン・ペンの方が上。
にもかかわらず、この瞬間のショーン・ペンの顔、表情は“息子”のソレでした。すごい。
母親役のジェシカ・チャスティン、きれいでした。透き通った母親像は、この宗教映画にピッタリでしょうね。
正直、このポストに「エンタメ」のタグを付けていいものか迷いますが、まあつけておきましょう(苦笑)
最後にひとことだけ。
それでも、ゴダールの作品よりはよほど見やすいと思います。少なくとも後半はそれなりに時間軸もわかりやすくなっていますし、父子の葛藤にフォーカスされているので。
ゴダールの映画を3~4本見たときは辛かった。。。
ツリー・オブ・ライフ、すなわち「生命の木」。
うわーーーー。
久しぶりに2時間強が長かった。
たぶん『マネーボール』のDVDで予告編を見て、なかなかおもしろそうな映画だなと思い借りたんだけど……。
そのおもしろそうなシーンは、本当にこの映画の中で一番一般受けするシーンだったんだな、と。
あらすじは父と長男の葛藤だったりするんですが、心象風景的なものがあっちいきこっちいきしてるんです。
時間も場所も転換が早くて頻度も高くて、よくわからない。
開始10~15分後からは長い間、TBSの『世界遺産』でも見てるのか?と思うくらい自然風景が映し出され、あっという間に自分の中で「これ、アカンやつや……」とアラートが。
で、Wikipediaみたら「宗教映画」って書いてあったんですよ。はぁ……。
どおりで?「エヴァを実写化したらこんな感じなのかな~」とかぼんやり思いながら見てたんで、まあ納得というか。
このわけの分からなさ、キリスト教を理解してればもっと楽しめるのかどうかわかりませんが、これをまだ見たことなくて、「ちょっとおもしろそうだから見てみようかなー」と思っている人は、くれぐれも過剰な期待をしないように。
2時間強がものすごく長く感じられる映画です。
ブラッド・ピットもいいんですけど、ショーン・ペン良かったです。ほとんど喋りませんけどね。
どこがいいって、ラストのたぶんクライマックスでのブラッド・ピットとのシーン。
ブラッド・ピットが父親で、ショーン・ペンが息子なんだけど、実年齢ではショーン・ペンの方が上。
にもかかわらず、この瞬間のショーン・ペンの顔、表情は“息子”のソレでした。すごい。
母親役のジェシカ・チャスティン、きれいでした。透き通った母親像は、この宗教映画にピッタリでしょうね。
正直、このポストに「エンタメ」のタグを付けていいものか迷いますが、まあつけておきましょう(苦笑)
最後にひとことだけ。
それでも、ゴダールの作品よりはよほど見やすいと思います。少なくとも後半はそれなりに時間軸もわかりやすくなっていますし、父子の葛藤にフォーカスされているので。
ゴダールの映画を3~4本見たときは辛かった。。。
2013年5月23日木曜日
神社の立地場所を理解(しる)ということ
困ったら「神社」を探せ! 合意につながるカギがある
上記記事のタイトルは、やや釣りくささがあります。
地域性か、本文を読む前から「神社」「合意形成」などで、なんとなくの話は見えました。
詳しいことはリンク先を読んでもらえればいいと思います。
ただ、自分が聞いた神社とその立地については、ここで書かれていることとはまた少し違う話を聞いたことがあるので、それを紹介します。
ある島嶼地域には、非常に沢山の神社が祀られていますが、そのうち沿岸部にほど近い神社の一部は海面より10~15mほどの高さにあることが多いそうです。
その理由が、上記リンク先だと「過去に発生した津波の高さ」に依拠しています。
他方、この島嶼地域だと「縄文海進」だというものです。
その証拠?に、今の海水面から10~15mほど嵩上げしたマップをベースに沿岸部神社をマッピングすると、不思議なくらいに、その神社の立地場所が岬にあたることが多いのです。
ちなみに、この地域では巨木信仰、巨石・巨岩信仰など古い形の信仰もまだまだ残っている地域です。
この話は学術的な検証を経たものではなく在野の研究者から聞いたものなので、正確性やそもそも自分の理解が誤っている可能性もあるのですが……。
ともかく、「神社」の立地場所はやはり歴史的なものを経ている、と考えることは大事でしょうね。
上記記事のタイトルは、やや釣りくささがあります。
地域性か、本文を読む前から「神社」「合意形成」などで、なんとなくの話は見えました。
詳しいことはリンク先を読んでもらえればいいと思います。
ただ、自分が聞いた神社とその立地については、ここで書かれていることとはまた少し違う話を聞いたことがあるので、それを紹介します。
ある島嶼地域には、非常に沢山の神社が祀られていますが、そのうち沿岸部にほど近い神社の一部は海面より10~15mほどの高さにあることが多いそうです。
その理由が、上記リンク先だと「過去に発生した津波の高さ」に依拠しています。
他方、この島嶼地域だと「縄文海進」だというものです。
その証拠?に、今の海水面から10~15mほど嵩上げしたマップをベースに沿岸部神社をマッピングすると、不思議なくらいに、その神社の立地場所が岬にあたることが多いのです。
ちなみに、この地域では巨木信仰、巨石・巨岩信仰など古い形の信仰もまだまだ残っている地域です。
この話は学術的な検証を経たものではなく在野の研究者から聞いたものなので、正確性やそもそも自分の理解が誤っている可能性もあるのですが……。
ともかく、「神社」の立地場所はやはり歴史的なものを経ている、と考えることは大事でしょうね。
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